センスというものは、タレントの様な才能を意味する場合と、

訓練によって磨かれるものと考えられています。

 

センスは変えられない、才能は磨けると表現する人もいます。

しかし、一般的には美感のことでしょう。

 

美術館に行ったり、彫刻を見たり、自然の中に見つけたり、

カメラの向こうに感じたり、

 

人は、センスを身に着けたいと言います。

では、センスは身につくものでしょうか?

センスとは、どんな分野でも筋がいいというのと同じ意味のことが多いと思います。

 

空手でもそうですが、筋がいい人は上達が早く、ある程度行くとやめてしまったりし、寧ろ愚直にやっている人の方が最後には空手家になるという話もあります。

 

語学の分野でも、バイリンガルはこれくらいでいいや、と思って、通訳にまではならないことが多いことと似ています。

多分何の分野でもそうでしょう。

続けているうちに、挫折を味わい、克服してつづけた人が最後には残るようです。

 

あなたはセンスを身に着けたいですか?

その道で成功したいですか?

 

この二つの問いについては、ターゲットが目の付け所が違っていると思います。

 

少年よ大使を抱け、という言葉があり、ローマの道も一歩からとも言われています。結局、夢を大きく持って、そこへたどり着く為に続けることが肝要ということになります。

 

絵の場合どうでしょうか? 巨匠になりたいから、続けたいから学校に行きたいと思うことでしょう。だから、良い先生に出会うために、高みを目指して芸大を目指すのはストーリーとして分かりやすいです。

 

しかし、大使を抱けと言われますが、大志ととると、人の目から見た大志なのでしょうか?個性の大志なのでしょうか?

 

と考えると、どんな大志(スコープ)だとしてもいいわけです。そこに、メンターとの出会いがあって、次元上昇へと導かれることも同じでしょう。

 

この言葉の中に、センスを身に着けるという言葉は隠れています。つまり、良いメンターに出会えば、考え方・ものの見方の次元上昇が期待されます。

 

センスはアップするものだと私は思います。

 

では、そのためには何をすべきか? 脳を刺激することでしょう。しかし、良いメンターに出会うまでには何をしなければならないか? 学校と言わず、メンターと言ったのは、こころ・気持ちの持ち方については学校で教われるか疑問に思ったからです。否、友達や先輩後輩から刺激を受けることもできます。

 

心の持ち方に間違いがあれば、成功にはたどり着ける見込みは少なくなるでしょう。知識があっても、気持ちがなくては成功しない、ということもできます。

 

センスを身に着けたいとは、刺激を受けて、美感の次元上昇を期待したいということでしょう。

 

通常、誰しも仕事の上で、上司に叱られて、何年かして仕事の運び方が身についていきます。

 

結局、ワークとメンターとの出会を通して、センスは身につくものではないでしょうか?

 

ですから、成功したいと思う人は、メンターに出会う幸運をいかにしたら得られるか? 考えるようになるわけです。

 

センスだけを身に着けるだけで良いというなら、何がいいのか違いが分かるようになれば良いのでしょう。

 

あなたは、どちらでしょうか?

 

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